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 [일본] 二刀流の起源

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(2006-04-06 23:39:45, 5932회 읽음)

第1章 二刀流の起源


 はじめに

 二刀流という言葉を聞いて宮本武蔵を連想する人は多い。二刀流の創始者として宮本武蔵を考えるからである。しかしそもそも二刀流がどのような剣術であるのかについては判然としない部分があるのではないだろうか。本章ではまず二刀流とはどのような剣術のことを指すのかについて確認し、現在の剣道において二刀流はどのようなものを示すかについて述べ、二刀流についての概念を得る。次に、このような二刀流がどのようにして始まったのかを、古流を手掛かりにして論ずる。そして、実際に二刀の形を残す流派を取り上げ、二刀流の起源について考察していく。


 第1節 二刀流とは何か

 一般的に二刀流と宮本武蔵を結び付けて考えられがちであると述べたが、広辞苑では二刀流とは二天一流に同じであるとし、二天一流とは「宮本武蔵の創始した剣道の一派」1)であると説明している。また図説日本武道辞典によれば、二刀流とは「宮本武蔵の二天一流を学んだものが、江戸時代中ごろになって唱えた流儀」2)と説明している。これより厳密に言えば二刀流は宮本武蔵が創始者である二天一流から生まれた一派を指すのであって、二刀流は宮本武蔵の流儀そのものを示すものではない。しかし後述のように宮本武蔵は二刀流の創始者とは言えない部分があり、二天一流とは無関係な二刀流も現実には存在することから、二刀流という言葉は必ずしも二天一流から受け継がれたもののみを示しているとは言えず、両手に刀を持って戦う剣法の総称として二刀流という言葉が使われることが普通である。よって本論では以下、一般的に「二本の刀を持って戦うもの」3)を二刀流と示し、特殊な場合においては具体的な流派名を示すことにする。また「二刀流」と「二刀」との区別であるが、厳密に言えば二刀は太刀と脇差のことを指すのであり、これを用いる流派が二刀流ということになる。しかし現在では二刀流という言葉はあまり使用されず、一般的な二刀流、すなわち二本の刀を持って戦うものという意味で二刀としている場合がほとんどである。これは現在の剣道では流派の区別がなくなってしまったことが推測される。よって本論では流派として考える場合は二刀流とし、一般的な場合には二刀と記すことにする。
 また二刀を両刀と呼ぶ場合があるが、二刀も両刀も大小すなわち太刀と脇差を示しているから、本論では二刀と両刀は同義であると考える。本論では二刀と示すことを原則とするが、文献には両刀と記されているものもあるため、その場合には両刀と記すことにする。 さて、二刀流についての語義について概説したが、それでは実際の剣法はどのようなものを示すのか。ここではまず、現在の剣道における二刀について説明する。
 二刀の使用は全日本剣道連盟試合・審判規則により大学生・一般の男女が認められる。この規則によると、竹刀の規格はは大刀は男女とも長さ114センチメートル以内、重さは男性425グラム以上、女性は420グラム以上のものを用い、小刀は男女とも長さ62センチメートル以内、重さは男性280~300グラム以内、女性は250~280グラム以内のものを用いる。竹刀の持ち方は、右手に大刀、左手に小刀を持つ場合を正二刀といい、左手に大刀、右手に小刀を持つ場合を逆二刀という。
 二刀の持ち方について、正二刀、逆二刀といわれる所以であるが、戦前では一般的に二刀といえば正二刀であった。二刀をとる場合、右手に大刀を持ち、左手に小刀を持って構える二刀がほとんどであったためであり、逆二刀はあまり見られなかった。当時の剣道解説書にも、「大を右にして小を左に持ち、構える場合には、大を上段にかぶり小を中段に構えるのが普通である」4)「両刀は普通左手に小太刀、右手に長太刀を持ち、」5)とあることからも理解できる。しかし、次第に左手に大刀、右手に小刀を持つ二刀も現れ、彼らを通常とは逆に竹刀を持っていることから逆二刀と呼ばれるようになった。
 構え方であるが、二刀は二本の剣の組み合わせから数多くの構えが存在する。『二刀流を語る』6)では17種類の構えを紹介しており、『現代剣道 二刀流の習い方』7)では7種類の構えを紹介している。この中で現在の剣道で中心的な構え方が大刀を上段、小刀を中段に構える「上下太刀の構え(『二刀流を語る』8))」「大刀上段の構え(『現代剣道 二刀流の習い方』9))」である。この他にも大小とも上段に構えたり、十字に組む構えも使われる。
 また足の置き方であるが、正二刀、逆二刀ともに右足前、左足前が有り得る。これは実際に二刀をとる人によって様々であり、統一されていない。自分にあった構えをすることができる。ただ、小刀の長さの関係から小刀を持つ方の足を前に出して構える場合が多いのが現状である。
 実際の二刀からの攻撃法は、基本的には相手の竹刀を小刀で押さえたり、払ったりしながら同時に大刀で面、小手、胴を打ち、あるいは突く。また相手が面を打ってきたときに、小刀でこれを受けながら、大刀で胴を打ったり、相手が突いてきたところを小刀で押さえまたは払い、大刀で面を打つという応じ技もある。勿論応じ技はこの他にもあり、小刀で相手の打ちを受けながら大刀で空いている部位を打つことが基本である。
 以上が二刀流についての概略である。それでは、二刀流及び二刀技術の起源を、次節以降古流を手掛かりとして考察していく。


 第2節 古流における二刀流

 左右両手に長短の刀を持って戦う二刀流の元祖は宮本武蔵と一般には解されているが、宮本武蔵の二天一流以前にも二刀の形があったことは看過できない。『大日本剣道史』には、「二刀の劍法は、武藏の二天一流より餘程古くから諸流にあつた、現に京流の山本勘助は天文十五年に二刀形を五本、新影流の慶長十五年の傳書に三本孰れも圖になつて居る、故に二刀を主としたのは武藏が元祖で、二刀の元祖では無い」10)とあるように、宮本武蔵が二刀流の創始者とは言えないのである。宮本武蔵以前には京流、新陰流の他に、寶山流にもにも二刀の術があったことが判明している。以下、宮本武蔵以前に存在した寶山流、宮本武蔵開祖の二天一流、宮本武蔵以後の心形刀流を取り上げ、二刀の術を考察する。


 (1)寶山流

 『二刀流を語る』には、寶山流は次のように述べられている。
 「寶山流は中條流の末流で、堤山城守から後を寶山流と稱ぶやうになつた。この流儀の表は、燕飛、燕廻、鋒返、方揚廻、浮舟、浦波、山陰、芝引、蜻蛉返、千金漠傳、留太刀、以上十一手で、次に中段の形があり、普通の勝負には羽節切、陰見崩、一叉鐡などの形を用ひる。又浮鏡と云つて小太刀十一手の秘傳があつて、その形の名は、横太刀、浮曲角の太刀、八天切等と稱ぶ。そして關上十一手を以つて極意とする。この關上十一手と云ふのは、飛龍迫、臥龍迫、陰陽亂、上下太刀、飛鳥翔、陰虎亂、陽虎亂、虎亂入、晴眼崩、晴眼留、雲剣翔、の十一種で、皆二刀を用ひる形である。更に又『山の井』と稱ぶ形も秘傳であつて、高く深しとの意味から、この名があると云ふ。この外にも尚秘傳の太刀がある由である。所で、問題は、この流が關上十一手の秘傳を何時頃から有つやうになつたかであるが、中條流には二刀の傳がないから、これは寶山流になつてから、加へたものに相違ない。それに又、關上十一手の形には鐡人流の形そのまゝのものが多い所から察すると、寶山流が二刀の用法を加へるやうになつたのは、寛永以後のことではあるまゐか。この間の消息は不明につき、疑ひを留て置く。」11)
 この中で注目すべきことは、關上十一手という秘伝はすべて二刀を用いること、そしてこの手の中に上下太刀の術があることである。この上下太刀の構えは大刀を上段、小刀を中段に構える形で、現在の二刀の中心的な構えである。寶山流は西暦1370~80年頃であるから、宮本武蔵誕生の約200年前に当たる。よって、現代剣道の二刀の中心的な構えである上下太刀の構えは、14世紀の寶山流に起源をたどることができたのである。


 (2)二天一流

 宮本武蔵が二刀流の元祖ではないことは前述の通りであるが、それではなぜ宮本武蔵が二刀流の元祖とまで言われるほど一般的に広まったのであろうか。それは、『剣道の発達』に「そもそも左右兩手に長短の刀を執りて戰ふの技を練習せしことは、慶長十五年の新陰流目録の刀法の圖中にも見ゆるが如く、古くより諸流中にも行はれたることありしも、二刀を同時に使用することを原則として所謂二刀流なる一流儀を開きしものは實に宮本武藏なりとす。此意味に於て宮本武藏は二刀流の元祖なるのみならず、徳川時代に於ける二刀流の諸流派は殆んど皆宮本武藏の二天一流より出でたる末流なり」12)とあるように、二天一流は二刀専門の流儀の元祖であり、二天一流以降の二刀流はほぼこの二天一流の影響を受けていると考えられているからである。それゆえ、二刀流について論ずる場合は宮本武蔵について触れることは当然のことである。
 それでは宮本武蔵はなぜ専ら二刀を持つ二天一流を編み出したのか。『五輪書』には次の通り述べられている。
 「一 此一流、二刀と名付くる事
 二刀と云出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付くる役也。昔は太刀・刀といひ、今は刀・脇指といふ。武士たるものの此両腰を持つ事、こまかに書顕はすに及ばず。我朝におゐて、しるもしらぬも腰におぶ事、武士の道也。此二つの利をしらしめんために、二刀一流といふなり。鑓・長刀よりしては、外の物といひて、武道具のうち也。一流の道、初心のものにおゐて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。一命を捨つる時は、道具を残さず役にたてたきもの也。道具を役にたてず、こしに納めて死する事、本意に有るべからず。然れども、両手に物を持つ事、左右共に自由には叶ひがたし。太刀を片手にてとりならはせんため也。鑓・長刀、大道具は是非に及ばず、刀・わき指におゐては、いづれも片手にて持つ道具也。太刀を両手にて持ちて悪しき事、馬上にてあしゝ、かけ走る時あしゝ。沼・ふけ・石原、さかしき道、人ごみにあしゝ。左に弓・鑓を持ち、其外いづれの道具を持ちても、みな片手にて太刀をつかふものなれば、両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず。若し片手にて打ちころしがたき時は、両手にても打ちとむべし。手間の入る事にてもあるべからず。先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也。(中略)太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先づ道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝ち、短きにても勝つ。故によつて太刀の寸をさだめず、何にても勝つ事を得る心、一流の道也。」13)
 また、『兵法三十五箇条』には、
 「一 此道二刀と名付事
 此道二刀として太刀を二ツ持儀、左の手にさして心なし。太刀を片手にて取ならはせん為なり。」14)
 と述べられている。
 これらの中で宮本武蔵は、武士は太刀と刀(刀と脇差)の二刀を腰に指しているのだから、この二刀の長所を学ぶところに二刀一流がある。よって太刀と刀を両手で持ってこの道を修行することが本道である。武士が一命を捨てるとき、刀を腰に差したまま役立てずに死ぬことは不本意である。だからといって二刀を左右両手で思いのままに振ることは至難の業である。それゆえ二刀を両手に持つことは片手で刀を扱うことになれることであると述べている。そして太刀は片手で振るものであると宮本武蔵は言う。実際戦いの場では両手で一本の太刀を持つことは不都合である場合があるから、両手を柄において構える刀法は本道ではないと言う。また兵法三十五箇条でも、太刀を片手で使えるように二刀を持つと解釈できる。
 これより、宮本武蔵の二天一流では、「左の手にさして心なし」ということであるから、二刀を持つけれども二刀を使い敵を倒すということではなく、片手で敵を倒す剣法であると言えよう。この点は現代剣道における二刀流の概念と大きく異なる点である。


 (3)心形刀流

 心形刀流は江戸時代初期の天和2年(1682年)に、伊庭是水軒秀明によって創始され、幕末頃には江戸四大道場の1つに数えられるほどの隆盛をみた流派である。その術も多彩で、一刀、二刀、小太刀を共に伝えている。この点においては前述の寶山流に似ており、二刀の用法には、鐡人流から影響を受けた形が多いようである。二刀の形は、向満字、横満字、横満字殘、刀合切、相捲、清眼破、柳雪刀、鷹の羽などである。また極意の太刀として、水月刀、三心刀、無拍子などがあるが、このうち、三心刀も無拍子も二刀を用いる形である。
 この中で注目したいのは三心刀である。この構えは『二刀流を語る』によると、「短刀を頭上に廻轉して進み、敵の氣たるむ機を見て短刀を敵へ投げつけ、投げると同時に長刀にて敵の胸板を突く、この構は短刀を右手に長刀を左手に持つ逆二刀の構である」15)と説明している。この三心刀は、短刀を投げるという点と、通常の構えとは異なる逆二刀をとっていることが特徴的である。
 短剣を敵に向かって投げつけ、敵がひるむ隙に長剣で斬る術は心形刀流の他にも未来知新流の「飛龍剣」と寶山流の「飛龍迫」「臥龍迫」に見られるが、これらは右手に長剣、左手に短剣を持つ通常の二刀流である。それではなぜ心形刀流が逆二刀となったのか。やはり『二刀流を語る』には次の通り述べられている。「では、心形刀流は何故斯様な逆形を作つたか。それは敵へ短劍を投げる時、左手で投げるより右手で投げる方が正確に投げ得るからであり、又突くだけなら長劍を左手に持つても不足はないからである。併し、短劍は敵へ投げて終ふし、殘る長劍は左手にあつて唯突きの一手に限るとなると、これを眞劍の場で用ひる事は、餘程思ひ切らぬとやれる業ではない。だからこの刀法は、劍の技術よりも精神の方が重要な條件になる。所が、その重要な條件となる心の持ち方は、恰も浄土教で説く『三心』の心をそのまゝだと云ふので、これを三心刀と名付けたと云ふのである。」16)これより、より確実に敵をしとめるために利き腕である右手で短剣を投げるために逆二刀をとったということが言える。これは古流の中で最初の逆二刀である。


 (4)その他の流派における二刀流

 宮本武蔵以降の二刀流は、「徳川時代に於ける二刀流の諸流派は殆んど皆宮本武藏の二天一流より出でたる末流なり」というように、直接的に宮本武蔵の影響を受けていなくても、全く無縁とは言えないのが実情のようである。宮本武蔵が教えた門人の数は千人を越えており、諸国遊歴中に教えたものまで加えたら二千人近くにもなったとのことであるから17)、二刀の形を取り入れた流派は、二天一流の影響をどこかで受けていても不思議ではない。
 二天流、圓明流、鐡人流、温故知新流、今枝流は二天一流より出現した末流であるし、未来知新流は宮本武蔵の末流ではないということであるが、「其流名の如きも、武藏の末流なる温故知新流に對して未來知新流と名づけしのみならず、其二刀表の術名には五輪碎と云ふものあるは武藏の五輪書の名稱を想起せしめ、又極意の飛龍劒と名付くる太刀は、刀を右の手に差し上げて持ち、左の手にて脇差を振り廻して敵に近き間を見て短劒を向の面に打ちつけて直ちに長劒にて切て勝つものなるが、此短劒を手裏劒に打つ事は、一方流、寶山流にもあれど、武藏の一派圓明流に本來此態を傳ふるのみならず武藏の最も得意とせし業なりしこと等より考へ合すれば此の流も亦武藏流の末流と見るを以て穩當とす。」18)とあるように、全く宮本武蔵とは無縁の流派であるとは言えないようである。
 このように、宮本武蔵の二天一流以後多くの二刀流が各流派の術の中に取り入れられるなど影響を与えてきたことがうかがえる。それは、二刀を取り入れた流派は二刀の有用性を認めたからであり、その剣技が注目されていたと言えよう。


 おわりに

 このように、二刀流を最初に編み出した元祖は、14世紀頃から二刀を持った業が見られていたことから宮本武蔵ではないことが判明した。ただ、現状では明確な元祖は不明である。
 しかし、宮本武蔵の二天一流とそれ以外の流派の二刀流では、その他の流派は一刀が主で、二刀は従の関係であったのに対し、二天一流が徹頭徹尾二刀に終始していることが、大きな相異点である。二刀に注目し、二刀の技術を体系づけたのはやはり宮本武蔵であるから、その意味で宮本武蔵を二刀流の元祖ということはできよう。
 但し留意しなければならないのは、宮本武蔵が二刀の流儀を立てたのは太刀と脇差を駆使して敵を倒すということではなくて、片手で刀を振るために二刀を持ったということであるから、実際には二刀というより片手剣法であった。
 だからと言って二刀を使うことを武蔵は全く否定したわけではない。『五輪書』には、「太刀一つ持ちたるよりも、二つ持ちてよき所、大勢を一人してたゝかふ時、又とり籠りものなどの時によき事有り」19)とあることから、実践において二刀は非現実的な理想論ではなく、場合によっては一刀より二刀の方が有効であると武蔵は述べている。太刀や脇差の重量の問題もあり二刀を自在に使うことは現実的には困難であったに違いないが、その壁を鍛練によって超越し到達するところが理想の剣法である二刀流であった。このような一種の「ロマン」も後押しして、宮本武蔵以後も二刀流は単なる理想のみの剣法として廃れてしまうことなく、多くの流派に二刀の術が取り入れられたということが言えよう。



引用・参考文献
 1)『広辞苑』第4版、新村出編、岩波書店、平成5年、1959ページ。
 2)『図説日本武道辞典』笹間良彦著、柏書房、昭和57年、541ページ。
 3)『剣窓』第118号、全日本剣道連盟発行、平成3年6月、6ページ。
 4)『最も実際的な学生剣道の粋』近代剣道名著大系第7巻、富永堅吾著、同朋舎    出版、昭和61年、361~362ページ。
 5)『剣道解説』近代剣道名著大系第12巻、剣道教育研究会著、同朋舎出版、
   昭和61年、321~322ページ。
 6)『二刀流を語る』復刻版、吉田精顕著、体育とスポーツ出版社、昭和58年、
   12~28ページ。
 7)『現代剣道 二刀流の習い方』荒関二刀斎著、壮伸社、平成6年、24~34   ページ。
 8)『二刀流を語る』、17ページ。
 9)『現代剣道 二刀流の習い方』、24ページ。
 10)『大日本剣道史』復刻版、堀正平著、体育とスポーツ出版社、昭和60年、7   49ページ。
 11)『二刀流を語る』、238~239ページ。
 12)『剣道の発達』復刻版、下川潮著、体育とスポーツ出版社、昭和52年、34   2ページ。
 13)『五輪書』宮本武蔵著、渡辺一郎校注、岩波書店、平成7年、2~29ペー    ジ。
 14)同上、141ページ。
 15)『二刀流を語る』、21ページ。
 16)同上、269~270ページ。
 17)同上、227ページ。
 18)『剣道の発達』、342~343ページ。
 19)『五輪書』、29ページ。




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